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今を遡ること20年以上前、1996年にビオロジック栽培と、醸造時亜硫酸塩無添加を開始し、今や堂々ヴァン・ナチュールの重鎮と畏敬される生産者。ドメーヌを運営するのはティエリ-とジャン=マリのピュズラ兄弟。その家系は15世紀からモンティの地に続き、クロ・デュ・チュ=ブッフを所有。このクリュは、16世紀には国王フランソワⅠ世と王女クロードが、特に入念に管理したという記録が残る、由緒ある畑である。畑には施肥も数年に一度にとどめ、40hl/haを上限とする低収穫を徹底。亜硫酸塩添加もゼロ、もしくは瓶詰め時のみ15ml/lを上限とする。そのワインは、若いうちから気取らず近づきやすいが、熟成を経て次々に現れる味わいは、“驚異のピュズラ・ワールド”との讃辞を浴びる。2010年以降のヴィンテッジではさらに心機一転し、しっかりとした格調と気品、みずみずしさと緊張感を、ドメーヌものだけでなくネゴシアン・ワインにさえ表現する境地へと到達している。2019年には兄のジャン=マリが引退し、ティエリーの二人の娘がワイナリーの運営に参画している。
地域:Loire ロワール
地区、村:Les Montilsレ・モンティ村
栽培・醸造責任者:Louise, Zoe,Thierry Puzelat
ルイーズ、ゾエ、ティエリー・ピュズラ
HP:http://www.puzelat.com
【ワイナリーと造り手について】
チュ=ブッフは、トゥールから40km北東、ブロワに近いレ・モンティ村にある。ブロワ伯爵の領地であったこの村にはクロ(壁で囲まれた土地)があり、チュ=ブッフと呼ばれる畑はそのクロの中にあった。中世に3世紀にわたりシャティヨン家の領地となり、続いてフランス王となるオルレアン家の王子と、ブドウ畑は伯爵家の領地として治められ、ここで生まれるワインは当時から高く評価されてきたとされる。
ピュズラ家は15世紀からモンティに続く家で、ジャン=マリとティエリーのピュズラ兄弟が1994年にブドウの栽培とワインの醸造、瓶詰め始めた。ジャン=マリはシャンパーニュ、アヴィズの醸造学校をティエリーはマコンとサン=テミリオンの醸造学校に通っていた。
ワイナリー設立当初から栽培の品質や、低収量(適切な収穫量)がワインの仕上がりの大きな影響を与えると考え、ビオロジックを導入。亜硫酸添加量を減らすことへの重要性を認識し、出来上がったワインは多くのワインラヴァーを引き付けてきた。時は経ち、2019年にジャン・マリーが引退するが、ティエリーの娘のルイーズとゾエがワイナリー運営に参加。ゾエは幼いころからワイン造りへの関心が深かったが、姉のルイーズは不作の年に涙を流す父の姿を見て、農業に従事することに抵抗があったため大学へと進学したが、多くの本を読む中で農業の重要性を理解しワイナリーへと戻る。
チュ・ブッフのワインは手に取りやすい価格ということもあり、世界中の“ナチュラルワイン”黎明期から多くのファンを獲得してきた。2009年から始めたネゴシアンのワインにおいても彼らのワインであるという個性が明確に感じられ人気を博したが2014年に共にネゴシアンで働いてきたピエール=オリヴィエ・ ボノムに売却。ティエリーはフランス国内においても“ナチュラルワイン”運動の中心的存在で、試飲会やポルト・ウーヴェールの企画をしたりフランス国外の造り手たちのワインをフランスへと輸入したりと、精力的に活動している。2024年にはワイナリーの運営も正式にルイーズとゾエへと譲り、二人も来日し10回目となるフェスティヴァンへも参加した。
【畑と栽培について】
ガメ、ピノ・ノワール、ソーヴィニョン・ブラン、シャルドネ、コ、などの品種に加え、ロモランタン、ムニュ・ピノ、フィエ・グリなどの地域の土着品種の栽培にも力を入れている。土着品種は酸が高く糖度も低かったため近年は栽培されてこなかったが、温暖化への対応策としてさらに植樹に力を入れている。
2024年現在自社畑は14haあり、さらに4haの土着品種を植えた。ティエリーとしては自分がいるうちに、子供たちに残していきたいものがあるのだろう。
畑はビオロジック栽培で管理をし、土壌はブロワ一帯の泥灰土まじりの石灰質で、シレックスを多く含む。エリアとしてはトゥーレーヌとシュヴェルニーに所有しているが、2020年にトゥーレーヌがムニュ・ピノの使用をAOCの規定から外したことに反対の意思を表明するため、以降AOCトゥーレーヌの取得はやめた。
【セラーと醸造について】
醸造は地上階のセラーで、ステンレス、セメント、木製のタンクで行われ、赤ワインはその後地下セラーで樽熟成に移る。2003年や2015年も暑いVTではあったが、前年の降雨量も多く、冬の雨もしっかりと降ったので、アルコール度数と酸のバランスも悪くはなかった。しかし2018年VTは特に暑い年で酸とのバランスの両立が非常に難しく、結果としてアルコール度数も必要以上に上がってしまった。その教訓を踏まえ、2022年VTは酸とブドウの成熟度のバランスを考え、収穫タイミングや収穫人数(2023年は50人)を調整し、もう少し早いタイミングで一気に収穫をできるようにするなどして、狙った味筋のワインができるようにしている。
◆エチケットについて
ワイナリーのロゴにもなっている羽の生えた牛は、雨乞いのために生贄に捧げた牛に羽が生え天に昇っていったという地域の逸話に由来する。シュヴェルニーの畑のブドウによるキュヴェにはこの絵柄のエチケットが使われ、トゥーレーヌの畑のブドウからのキュヴェには牛が鋤を引く様子が描かれている。買いブドウを使ったシンプルな白、ロゼ、赤のシリーズはシンプルに文字だけのエチケットとなっている。
◆レ・マデールについて
レ・マデールのシュナン・ブランの供給元はヴーヴレのクロ・ティエリエール(Clos Thierrière)というワイナリーで、若い双子の兄弟から購入していて2021VT以降醸造している。ティエリーの狙いとしては、彼らの造るワインとはまた違う方法もあるのではないだろうか?という意味を込めて彼らのブドウを買い続け、ワインを若い醸造家達に向けて提案し続けたい側面がある。
*** 過去記事アーカイヴ ***
【チュ・ブッフとの出会いを振り返って】
合田泰子 2009年
ジャン=マリとティエリーの”ピュズラ兄弟“が手がけるワインを日本に紹介して、11年になります。初めてドメーヌ・ル・クロ・デュ・チュ=ブッフのワインを味わったのは、1998年2月に開かれたアンジェのサロン。私のヴァン・ナチュール探索の旅が本格化しだしたころです。正直言って彼らのワインは、興味深くはありましたが、おいしいとまでは思えず、やや野暮ったさが残る、というのが初期の印象でした。が、実はワインの中にエキスがこもり、存在感のある余韻と同時に、澄んだ心地よい後味が長く続いたのも事実です。これまでとまったく異質な世界に迷い込んだように思いながらも、不思議な魅力にぐんぐんと引き込まれ、いつのまにか深入りしてしまいました。
90年代は暗中模索のなかで、そのとき気を魅かれたピュズラを含む10人の造り手を、日本市場に紹介し始めました。振り返ってみて興味深いことに、彼ら10人のすべてが、現在では自然派の重鎮として内外で絶大な評価を受けています。わけても気軽に楽しめて、かつ個性豊かでもあるピュズラ兄弟のワインは、熱狂的なファンを得ることができました。
ラシーヌとの深い縁:
当時、私と塚原が運営していた(有)ル・テロワールでは、ドメーヌ・ル・クロ・デュ・チュ=ブッフの1997年ヴィンテッジから2001年までを、ご紹介いたしました。ですが、この97年ものの半量を含む初荷は、サウジ・アラビア沖の火災でリーファーコンテナの電源が止まって、事実上のドライコンテナと化したため、明らかに劣化症状を呈していました。そのコンテナ1台分のワインは、すべて廃棄処分しましたが、参考用に数本ずつとっておいた各ワインを数年後にテイスティングしたところ、予想どおり味わいは無残に壊れていました。自然派ワインにとって、いかに15℃の定温輸送が大切であるかを、身をもって実感した次第です。
さて、ピュズラ兄弟のワインは、先見の明があるファンの方々からの愛顧をうけて順調に伸びはじめたため、1999年ヴィンテッジから私たち専用に、《買いブドウによるソーヴィニョン》を作ってもらうよう依頼しました。この年が、《ネゴシアン・ティエリー・ピュズラ》の記念すべき出発点ともなりました。
2003年、私と塚原が築き上げてきたル・テロワールを、図らずも離れることとなったとき、ティエリーから支援のメッセージが届きました。「ワイン・ビジネスは、人と人とのつながりで成り立っている。僕たちは、泰子の言葉でもって、僕たちのワインを日本に紹介してほしい。だから泰子についていくよ」、と。今日のラシーヌがあるのは、あの日のティエリーの励ましと信頼のおかげでもあるのです。そしてラシーヌでは、2003年から《ドメーヌ・ル・クロ・デュ・チュ=ブッフのすべてのワイン》と、《ネゴシアン・ティエリー・ピュズラのソーヴィニョンとヴーヴレ》を取り扱うこととなりました。
ティエリー・ピュズラ <進化し続ける醸造家>の肖像
合田泰子/塚原正章 2005年
「僕たちの目ざすワインは、気軽に飲めること。自分が飲みたいと思うワインを造って、楽しく飲んで、飲んで、肝臓ガンにならないで死ねれば幸せだね。(僕のワインは)自然な味わいがあって、生き生きとしている。若いうちから飲みやすいけれど、よく熟成することもできるんだ」とティエリーは言っています。まさしくそのとおりで、比較的低価格で親しみやすい味わいでありながら、熟成とともに現れる新しい味わいの世界があり、いつも驚かされます。ビン詰め後半年を経て「変態」し、驚異のピュズラ・ワールドが現れるのです。
年を追うごとにティエリーの腕はますます冴え、味わうたびに思わず「うーん、すごい」と感じいってしまいます。「上品で気どらず、親しみやすい味わい」といった域を超え、しっかりした格調と気品すら感じさせてくれます。おまけに、ドメーヌ製だけでなく、ネゴシアン製ワインについても共通しているところが、凄いのです。一般に、買いブドウで生産量を増やしたとたんに、当初のワインにあった緊張感とみずみずしさという魅力が消えうせ、欠点はないが、面白みのないワインに成り果てがちなのですが。
フランス全土のなかでもマイナーな生産地域であるロワールの中でも、さらにマイナーなアペラシオンが、「トゥーレーヌ」と、とりわけ「シュヴェルニー」(1993年にVDQSから昇格した)です。ピュズラ兄弟は、地位の低いアペラシオンの名を全国区に高め、今ロワールには次々と優れた新しいつくり手が生まれています。
ピュズラ・ワールドの出現と快挙ソーヴィニョン・ブラン
個々のワインの個性差が何とかわかるようになるには、その後数年かかりましたが、その間に兄弟によるワインの作りはどんどん進化し、味わいにもすごみが出てきました。近年のヴィンテージは「上品できどらず、親しみやすい味わい」という域をはるかに超え、しっかりした格調と気品すら感じさせます。二人が造るワインの多くは、瓶詰め後半年を経て「変態」します。そうなれば、しめたもの。ユニークそのもので、驚異のピュズラ・ワールドが現れます。
彼らに出会ってからの7年を振り返ると、彼らの振る舞いは冗談のように見えて、実は真剣に、試行錯誤しながら、突っ走ってワインを造ってきたように感じます。ワイン界の既成観念にとらわれず、自由に自分たちの信じるワイン造りを実現し、躍動感あふれる、活き活きとした味わいとなって、ワインの中に凝縮されています。近代醸造学の視点からみれば、欠点だらけかもしれませんが、それを上回る魅力が彼らのワインが広く指示されるのでしょう。
なかでも、特筆に価するのが、ソーヴィニョン・ブラン酒でしょう。現在㈱ラシーヌでは、ドメーヌ《クロ・デュ・チュ=ブッフ》、ネゴシアン《ティエリー・ピュズラ》とクルトワ父子のソーヴィニョンをご紹介しています。彼らのソーヴィニョンを扱うようになってから、これまで扱っていました著名なサンセールやプイィ・フュメの輸入を、いっさい止めることにしました。アペラシオンとして名のとおったサンセールやプイィ・フュメは、蔵出し価格が倍以上もします。その上、彼ら自然派の雄によるソーヴィニョン・ブラン酒を知ったあとでは、酸化防止剤の多用による、苦味や臭さが耐えがたくなってしまったのです。
ティエリーは自分のワイン作りについて次のように言っています。「(ぼくのワインは)自然な味わいで、生き生きとして、飲みやすく、熟成してゆく。だけど、ワインが生きているあいだは、難しい時期もあるというのを考えておかなくてはいけない。たとえば、還元状態とか、二酸化炭素の残留なんかだね」。微発泡が気になったり、変だなと感じたときは、カラフに移して味わってください。しばらくすると、不愉快な香りは抜け、ハーモニーがとれて、味にまとまりが出てきます。
自然派が約す、さらなる前進
さて、2005年1月末のロワールのサロンに、二人は出展をやめました。INAOが開く、巨大なパヴィリオンでのフェアーには、出展する意味がなくなったのです。彼らと志を同じくする全国のすばらしい造り手たちが一同に会する会は第6回を迎え、“Dive Bouteilles” (真正なワイン) の名で1月末のサロンにあわせて、番外編として、ロワールの洞窟内で催されてきました。
彼らの志を表す催しのサブタイトルは、“Vignerons vous invitent a deguster leurs vins sans artifices”「人工的な手管を排して作られたワインを味わう会(へのお招き)」から、2005年には“Vinerons en voie d’extinction” 「絶滅途上にある造り手たち」に変わり、さらに、“Vous aussi, venez visiter les vignerons indigenes dans leur grottes”「さあ、あなたもワイン原人に会いに彼らの洞窟までいらっしゃい」と、ヴォルテージはあがる一方。ルシヨンのジャン・フランソワ・ニック、ローヌのヤン・ロエル、マルセル・リショー、ジル・アンゾニ、ボジョレーからは、ラピエール、ジャン・フォワイヤール、ヴィジターでは、ジェローム・プレヴォーと言った造り手たちが集い、毎晩明け方まで熱気あふれる交流会が延々と続きます。ピュズラ兄弟は今では全国区で造り手たちからも名人と目され、いよいよ注目されています。
ロワール>トゥーレーヌ>シュヴェルニー>クロ・デュ・チュ=ブッフ
ジャン=マリとティエリーのピュズラ兄弟
―活気あるワインを奏で唱う二人組―
筆者:アンリ=ノエル・ラグランドゥール
『ル・ルージュ&ル・ブラン』誌・第75号(2004年冬季号)より抜粋
兄弟でコンビを組むこのドメーヌは、かなり以前からパリなどのビストロの名店に、ワインを供しつづけてきた。そこではだれしも、頭痛に悩まされずにおいしいワインを存分に楽しむことができる。そのテロワールのセンスや、ブドウ栽培と醸造に関する途方もない頑固さは、ときおりドメーヌの経営を窮地に陥れたりもする。が、これほど単純かつ複雑な道理も無い……。
『ル・ルージュ&ル・ブラン』59号(1999年7月)においてシュヴェルニー、クール・シュヴェルニー地域のワインを特集し、《ドメーヌ・クロ・デュ・チュ=ブッフ》にスポットを当ててから月日は流れた。その間にも彼らのワインは売れつづる一方、ティエリー・ピュズラは新たにネゴシアン《EURLティエリー・ピュズラ》の仕事もはじめ、耳目を集めている。
レ・モンティに残るピュズラ家に関する記録は、15世紀まで遡れる。もし当時、一家の誰かが当地の土壌の質を精査していたら、当時から優れたワインを造っていただろう。ブロワの伯爵やオルレアン家の王子たちから重宝がられて、この地方のワインは長い歴史を有している。アンリⅢ世の時代、《クロ・デュ・チュ=ブッフ》には、ムニュ・ピノ種のブドウが植えられていた(今日のファンは、兄弟の父の代に植えられたピノ・グリ種のワインを珍重しているのだが)。ムニュ・ピノ種はブロワ地方の典型的なブドウで、地元ではアルボワと呼ばれる。が、これは、ジュラ地方の同名の品種とは無関係で、おそらくエルブエという古語が変形したものとされている。その特徴はむしろシュナン種に近いが、シュナンと比べると生育サイクルが短く果房も小さめで、葉も丸い。造り手からは敬遠されてきた品種で、というのもジャン=マリの言によれば、「ネゴシアンたちは発泡ワイン用にのみ、1リットル2フランの値でしか買い取ってくれない」からである。クロード・クルトワ、エルヴェ・ヴィルマード、ピュズラ兄弟などの造り手が、この品種を再び桧舞台に引っ張りあげたのである。
《ドメーヌ・クロ・デュ・チュ=ブッフ》は現在、AOCシュヴェルニーのレ・モンティスに10.5ha、AOCトゥーレーヌのモントゥ=シュル=ビエーヴルに4.5haの畑を有する。土壌は主に火打石まじりの粘土質で、それ以外の区画は砂礫質である。
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